教師は生徒を教えているが、生徒から学ぶことが実に多い。教えることが一番勉強になるというのは本当だ。
「N1のN2」という文法について考えさせられた。
超初級の文法だ。名詞を使って名詞を修飾する場合、助詞「の」を使うというものだ。
「私の本」、「日本語の本」、「ゲームの本」などと言える。
初級のとある教科書の会話の中で、「子どもの時、僕はおもちゃの刀がほしかったです。」というくだりがあった。
会話の内容確認として、この人は「何がほしかった」のか聞いてみた。
生徒は「刀のおもちゃ」と言った。教科書では「おもちゃの刀」となっていたので、私は言い直してしまった。
「ああ、おもちゃの刀がほしかったですね。」
(第三者の願望を描写する際、「おもちゃの刀をほしがっていました。」という用法があるが、ここでは置いておく。しかし、この場合は会話(聞いた物語、実際観察できないもの)について話しているので、「ほしかった」の方が自然だと思う。)
でも、「刀のおもちゃ」でも間違いではない。むしろ、そっちの方が素直な理解だと思った。
どんな「おもちゃ」なのか。「刀のおもちゃ」である。
生徒はちょっと困惑していたように思えた。
「おもちゃのかたな」でも間違いではないことと、「おもちゃのかたな」は本物ではないという意味にもなるというようなことでとりあえずその場をしのいだ。
「おもちゃの刀」は文脈によっては、比喩的な表現として本物の刀に対しても言える。名刀を持つ人が、斬れない刀を見て、「そんなのは、おもちゃの刀だ。」とも言えるだろう。
初級の教科書は文法や語彙の制約があるため、どうしても文章が作為的だったり、何かしら矛盾が出ることがある。もちろん、事前に齟齬が出ないように確認などするのだけれど、言葉は変幻自在だから難しい。
ほんの些細なことかもしれないが、教師が気づかないことを生徒が教えてくれる。教えている立場だが、いつも学ばせてもらっている。
