2025年4月11日金曜日

N1のN2

 教師は生徒を教えているが、生徒から学ぶことが実に多い。教えることが一番勉強になるというのは本当だ。


「N1のN2」という文法について考えさせられた。
超初級の文法だ。名詞を使って名詞を修飾する場合、助詞「の」を使うというものだ。
「私の本」、「日本語の本」、「ゲームの本」などと言える。


初級のとある教科書の会話の中で、「子どもの時、僕はおもちゃの刀がほしかったです。」というくだりがあった。

会話の内容確認として、この人は「何がほしかった」のか聞いてみた。


生徒は「刀のおもちゃ」と言った。教科書では「おもちゃの刀」となっていたので、私は言い直してしまった。
「ああ、おもちゃの刀がほしかったですね。」
(第三者の願望を描写する際、「おもちゃの刀をほしがっていました。」という用法があるが、ここでは置いておく。しかし、この場合は会話(聞いた物語、実際観察できないもの)について話しているので、「ほしかった」の方が自然だと思う。)


でも、「刀のおもちゃ」でも間違いではない。むしろ、そっちの方が素直な理解だと思った。
どんな「おもちゃ」なのか。「刀のおもちゃ」である。


生徒はちょっと困惑していたように思えた。
「おもちゃのかたな」でも間違いではないことと、「おもちゃのかたな」は本物ではないという意味にもなるというようなことでとりあえずその場をしのいだ。


「おもちゃの刀」は文脈によっては、比喩的な表現として本物の刀に対しても言える。名刀を持つ人が、斬れない刀を見て、「そんなのは、おもちゃの刀だ。」とも言えるだろう。


初級の教科書は文法や語彙の制約があるため、どうしても文章が作為的だったり、何かしら矛盾が出ることがある。もちろん、事前に齟齬が出ないように確認などするのだけれど、言葉は変幻自在だから難しい。


ほんの些細なことかもしれないが、教師が気づかないことを生徒が教えてくれる。教えている立場だが、いつも学ばせてもらっている。


ありがとうございます vs ありがとうございました

タイトルに書いた二つの違いについてよく初級学習者に聞かれる。


ごく簡単なあいさつだけど、この二つをどう使い分けて、どのタイミングで使っているのかよく分からないようだ。区別が分からない人は、「ありがとうございます」で済ます人もいるかもしれない。
カジュアルな場合は、「ありがとう」で済んでしまうので、あまり気にする必要がないが、丁寧形で話すときは自然に使い分けている。


整理してみる。


「ありがとうございます。」を使うとき

・今その場で何かしてもらったとき、これから何かをしてもらうときに感謝を示す場合
 例: A 「よければ、コピー機の使い方を教えましょうか。」
    B 「はい、お願いします。ありがとうございます。」


・いつも感謝していることを示す場合
 
例: 店員 「毎度ありがとうございます。」


「ありがとうございました。」を使うとき

・何かしてもらって、それが終わったときに感謝を示す場合
  例:A 「これで今日のレッスンを終わります。」
    B 「ありがとうございました。」


・別れの挨拶として、あるいはお客が退店するときの挨拶として感謝を示す場合 
 例1:「今日はありがとうございました。楽しかったです。またよろしくお願いします。」
 例2:店員「ありがとうございました。また、お待ちしております。」
 


しかし、いろいろなパターンがある。いつも感謝していることを示す場合、「いつもありがとうございます。また、お待ちしております。」と言える。


・過去を振り返って、感謝を示す場合 
 例: A:「昨日は遅くまで手伝っていただきありがとうございました。」
    B:「いえいえ、お疲れ様でした。」


以上のような状況でだいたい使い分けていると思う。
自分の感覚では感謝の表現でもあるけど、コミュニケーションをうまくつなげるための挨拶の一部として使っている気がする。


学習者の中には失礼になってはいけないと結構言い方を気にする人がいる。まだインプットが少ないため、二つの違ったニュアンスがつかめないのかもしれない。違いをある程度説明することはできるが、いろいろな状況を見たり、聞いたりして、違いを感じとってもらうことが一番だろう。

直接法と間接法と学習環境

日本語を教える場合、教師は直接法か間接法のどちらかで教える。中級以降になれば、学習者がある程度日本語を理解できるため、直接法の割合が多くなるだろう。近年ではそれに加え、教室で教えるか、オンラインで教えるかという学習環境の選択もある。


私の場合は、初級は間接法でオンラインで教える教師となる。中級や上級では直接法でオンラインとなる。あらためて、直接法、間接法のメリット、デメリット、そして、教室とオンラインのデメリット、メリットを整理してみた。いたって当たり前のことを整理しているかもしれないが、いざ書き出してみると、スラスラとは出てこなかった。こうして振り返ることで少しは整理できた。


あくまで間接法、オンラインで教える立場からの観点なので偏りもあることを断っておく。直接法、教室で教える教師の観点では違った意見もあるだろうし、重要視する点も違うかもしれない。一つの意見としてご覧いただきたい。


画像


上記のように整理してみると、お互いのメリット、デメリットは当然表裏一体というところもあるが、性格的にネガティブな側面に目がいってしまったのか、それぞれデメリットの方が多く出てしまった。一晩寝て少し書き足した。


やはり、教室とオンラインでの学習環境の違いは大きいとあらためて感じた。教室のやり方をオンラインでそのままやると期待した効果が得られなかったり、オンラインでパソコンの前に座って教えるやり方は、教室ではうまく機能しないだろう。特にパソコンでは物理的な距離が離れている制約をカバーすることが大事だと思う。学習者と距離が出ないように配慮したり、パソコンだからできる機能を効果的に使うことを考えなければいけない。


学習側のデメリットに注意すると、どちらも教えているときにどういう問題が起こりやすくて、注意しなければいけないのか、あらためて整理できた。デメリットをケアしてあげることで、学習者のモチベーションを上げたり、維持する方向につなげることができるのではないだろうか。

「気になる」言葉

テレビやビジネスなど使われる言葉で「気になる」言葉がいくつかある。あるコミュニティや業界ではよく使われており、ある程度受け入れられていると思われる。


明らかにおかしいというよりは、個人的に何かすっきりせず気になる言葉を3つほど挙げてみる。


・建て付け

「建て付け」という言葉は、建物のでき具合についての言葉だと思っていた。例えば、「ドアの建て付けが悪くて、隙間が空いている。」など。
「法案の建て付けについてご説明します。」や、「プロジェクトの建て付け、どうなってんの?」などの使われ方がなんかすっきりしない。
「国会議事堂は頑丈ですから、建て付けは問題ありません。」、「会議室のドアの建て付けが悪いんです。」とは言わない。 

 

「予算規模は〇兆円で、監督官庁は〇〇で、うんぬんかんぬん」、「幹事は〇〇部で、△△部署からの何人か入ります、うんぬんかんぬん」などのように使うようだ。


 
法案の枠組み、制度の仕組みとか、組織体制、プロジェクトの担当部署と構成員など、その状況に合わせて使い分けると長ったらしいのだろうか。


・展開する

人を動かしたり、物事が進んだりすることに使われるが、ビジネスだと違う意味になる。
「関係者に議事録を展開してください。」などのように使われる。
議事録を正六面体の展開図ように広げることではない。


ビジネスでは、「情報を適切な人たちに漏れなく流してね」という意味らしい。


普通に「関係者に議事録を送ってください」、「資料を関係者と共有してください」と言えば済むような気がする。


・受け止め

「ご批判を真摯に受け止め、改善に努めます。」
その言葉をきちんと聞き入れること、「受け止める」は違和感がない。


「首相、裏金問題での処分についての受け止めをお願いします。」はどうだろうか。政治家へのぶら下がり取材や、報道でよく使われている。
何を受け止めるのだろうか。なぜ名詞化するのだろう?
「ご見解をお聞かせ願いますか。」ではだめなのだろうか。 


言語規範は時とともに変化するものだ。多くの人が誤用の意味で良しとして使い出せば、標準的な使い方に変わる。辞書にもその意味が加わることもある。


元の意味が長く生き残る言葉もあれば、新しい意味が加わったり、元の意味が上書かれてしまう言葉もあるだろう。
あれこれ言っても、多勢に無勢、その流れに逆らうことはできない。ぼやきである。

本の読みます。

 

どこが間違いか。


先生:「きのう なにを しましたか。
生徒:「ほんのよみました。」


先生:「ほんをよみました。」
生徒:「ほんのよみました。」


先生は間違えたと思っている。
でも、生徒は間違っていると思わない。
生徒はどこが間違っているのか腑に落ちない。


助詞「を」の代わりに、「の」と言ったのか?
初級を教えたことがある方はアルアルかもしれない。


実は違う。「ん」の発音を間違えているのである。


英語話者に多いが、「ん」を一つの音だけで発音する。
それは英語の「n」(エヌ)の発音だ。


これは舌先を歯茎に当てて発音する、歯茎鼻音になる。
歯茎を舌先に当てたまま、「を」を発音すると、「の」になってしまう。

だから、「hon no よみました。」になってしまう。


「ん」は6種類もある。


日本語母語話者は無意識で話しているが、
分け方にもよるが、「ん」は6種類ある。
「ん」の後にくる、音に影響を受ける。


「ほんを」の「ん」は後ろの音が「を(o)」である。
つまり、母音が来るので鼻母音で発音しなければいけない。


Interactive IPA Chart を使って、IPA(国際音声記号)をタイプしてみた。


1. 両唇鼻音
・ほんも [homˑmo]


2. 歯茎鼻音
・ほんの [honˑno]


3. 歯茎硬口蓋鼻音
 ※硬口蓋鼻音の記号で代用することが多いらしいが、日本語では
   前よりになる。(勉強中なので間違っていたらご指摘ください)
・かんじ[kaɲ̟d͜ʑi]


4. 軟口蓋鼻音
・ほんが [hoŋˑɡa]
・てん [teŋˑ]


5. 口蓋垂鼻音
・ほん [hoɴˑ]


6. 鼻母音
 ・ほんを [hoõ.o]


母語の癖がついているとすぐには直らない。「ん」は1つだけではなく、前後(多くは後続)の音に影響され、舌の位置などの調音方法が違うことを知ってもらうことが肝心だ。


参考文献
斉藤純男『日本語音声学入門【改訂版】』三省堂
Interactive IPA Chart (International Phonetic Association)

オンラインレッスンと日本語習得にかかる時間

 

日本語ってどれぐらい勉強すれば話せるの?


米国務省のウェブサイトによると、アメリカ人にとって日本語は最高難度のCategoryⅣの言語に位置付けられている。アラビア語、中国語、韓国語も同じく最高難度だ。


       習得にかかる目安時間は88週間で2,200時間だ。

他のウェブサイトなどにも目安時間を案内してくれているが、2,200時間で上級レベルとされる JLPT N2~N1レベルを概ね想定しているようだ。


語学学校通い、毎日学習で1年半~2年かかる


1週間の学習時間の例として、
教室授業23時間、自習で17時間、合計週40時間と書かれている。

                              週40時間で毎日勉強するペースにすると、
                           40時間×60分=2,400分 
                           2,400分÷7日=約342分
                           つまり、1日に5時間40分勉強しないといけない。
 
これは、学校に集中して通うことを想定してのプランだろう。
40時間だと、55週間で2,200時間に達するので、休みなしで約1年だ。
もう少しペースを緩めて前述の88週間にすると、1年半~約2年間ということになる。


上級に達するには最低1年半はかかるということになる。


オンラインプラットフォーム学習者のペースだとどうなる?


一般的に仕事を持っている学習者で考えてみるとこのペースで学習するのは厳しい。コストや時間の制約などから、60分レッスンを週2回受けるのが
現実的だろう。自習は個人差があるので、何とも言えない。


忙しくても平日20分、週末2時間を勉強時間として捻出できるとしよう。

        1週間の学習時間は次のようになる。
        60分レッスン×2日=120分
        平日自習20分×5日=100分
        週末自習2時間=120分
        合計340分=5時間40分

つまり、上記で述べた毎日学校に通う学習者の1日分の学習時間にしかならない。


2,200時間到達まで何週かかるか。


                         2,200時間×60分=132,000分
                        132,000分÷340分=約388週=7.5年になる。


あくまで単純計算だ。通常、初級を終了して、中級・上級に達する人はある程度勉強する習慣ができているので、もっと加速したペースで進むはずだ。
 この数字は現実的ではない。やる気がなくなるだろう。


では、初級レベル到達にかかる時間は?


CEFRのA2レベルに達するには300~600時間かかると言われている。
詰め込み学習ではないので、600時間かかるとして、さきほどのペースで計算してみると以下のような計算になる。


                           600時間×60分=36,000分
                           36,000分÷340分=約106週=2年になる。


単純に半分に割って考えると、A1レベル到達でも1年はかかる。
このぐらいのペースでのオンライン学習者は少なくとも1年間は継続して学習しないと難しいと感じている。


結論:オンラインレッスンの学習時間だけでは少な過ぎる。


こうして計算してみると、学習者の個人差は除いて、平日の学習を少なく見積もっても、週末で2時間程度の学習を入れないと1年で初級到達は難しいことが分かった。


オンライン学習の場合、1~2年でA1,A2に到達するにはレッスン時間外に自学習を取り入れることができるかにかかっている。このことを学習者に初めに理解してもらい、自律的な学習を促していくことが大事だ。


オンライン学習者は語学学校ほど学習参加への強制力が働かない。個人的な趣味で初める人が多く、いつ辞めても支障がない。そもそも自習として勉強する習慣がない人や、何を勉強すればいいのかすら分かってない学習者も多い。「勉強した」といっても、基礎ができていないのに難しい内容に飛びつく人もいる。的外れな勉強をしている人にはある程度学習を方向づけてやる必要もある。


 教える側はやる気をそがないように小テストを課したり、予習、復習することを促していくことが大切なのだが、個人チューターの労力の限界もあり、言うは易く行うは難しと常々感じる。




日本語とラテン語

もう世を去られてしまったが、ドナルド・キーンの『二つの母国に生きて』というエッセイがある。


キーン氏がどうやって日本語をどのように身に着けたかなどが書かれていて面白い。氏は第二次大戦中、米国の海軍日本語学校で日本語を学んだそうだ。


その後、英国で若い軍人に日本語を教えたときのことも書かれている。
その際、ラテン語を専攻した学生を募ったそうだ。

「ラテン語がよくできる学生だったら、日本語もよくできるだろうというわけです。」

                                                        ドナルド・キーン『二つの母国に生きて』朝日文庫

「当時の教科書を見ると、たとえば ”馬が” ”馬に” ”馬を” といったふうに、まったくラテン語式に書かれていました。」

ドナルド・キーン『二つの母国に生きて』朝日文庫

欧米では教養として古典語であるラテン語を学ぶ。
「馬が」は主格、「馬に」は与格、「馬を」が対格で、日本語の助詞の使い方と対応する。
確かにラテン語を学んでいると、助詞の概念が割とすんなりと受け入れられるように思う。「正の移転」として応用できるわけだ。


英語母語話者はこのような格変化を使わない。
日本語の助詞の使い方にどうしても慣れない学習者もいる。
そもそも抜かしたり、選択を間違えたりする。

ヨーロッパの古典語であるラテン語と日本語に意外と共通点があるのが面白い。

悟空弁

ドラゴンボールの孫悟空の声優さんといえば野沢雅子さん。悟空のあの特徴ある話し方はアニメ版に欠かせない。


そして、その野沢さんのモノマネをするお笑い芸人さんもいつも動画で感心してみてしまう。お笑い芸人コンビ、アイデンティティの田島さんだ。


標準語をすぐ悟空弁に変えて話してしまうのだ。
「悟空弁」という言葉があるかは知らない。
悟空が話す独特の方言ということにしておく。


上手い例が見つからないが、たとえば、
「明日駅の前で待ち合わせしようか。」と言う場合、悟空弁だとこうなる。

「あした えきのめえで まちあわせすっか。」

こんなしゃべり方を瞬時に行うのである。


何か法則みたいなものがあるんだろうか。
もうドラゴンボールをだいぶ観てないが、以下のように喋っていた気がする。

おまえ   ⇒ おめえ       omae       ⇒ omee
あたりまえ ⇒    あたりめえ atarimae ⇒ atarimee

すごい   ⇒ すげえ          sugoi  ⇒ sugee
つよい   ⇒ つええ      tsuyoi ⇒ tsuee

うまい          ⇒ うめえ         umai ⇒ umee
みたい          ⇒ みてえ         mitai ⇒ mitee
いっぱい     ⇒ いっぺえ     ippai ⇒ ippee

あつい         ⇒ あちい          atsui ⇒ achii
きつい            ⇒ きちい          kitsui ⇒ kichii

するぞ            ⇒ すっぞ          suruzo ⇒ suzzo
ねるぞ            ⇒ ねっぞ      neruzo ⇒ nezzo
(実際のアニメのセリフから拾ってないから、正確じゃないかもしれないが・・・)


悟空の方言は東北弁だとかネットではいろいろな見解があるようである。
千葉で話されていた房州弁も上記のような語尾を持った言葉が多そうだった。


日本語習いたての学習者には字幕がないと意味不明でわけがわからないかもしれないが、この悟空弁がないと悟空じゃない。もはや悟空の役割語と言ってもいいのだろうか。

あと、ご存じの方もいるかと思うが、田島さんは漫画の似顔絵もめちゃくちゃうまい。
(知ってるやつもいるかもしれねえけど、めちゃくちゃうめえぞ。)

「て形」の練習

初級日本語の重要文法の一つが「て形」だ。


英語だと"Te-form"である。


U-verb(五段動詞)の活用パターンは覚えるしかない。
何度も繰り返し、間違えながら覚える。


何人かに教えるとよく間違えるパターンが見えてくる。
一番多いのは、「泳ぐ(およぐ)」で間違えることが多い。

正しくは「泳いで(およいで)」だが、「およんで」と言い間違える人が多い。

およぐ ⇒ 正:およいで
      誤:およんで

「読む(よむ)」⇒「読んで(よんで)」があるから、それにつられるのだろうか。直接聞いてないので推測でしかない。


およぐ ⇒ 誤:およぎて

という間違いパターンも聞く。こちらは古文のような活用になってしまう。
もちろん初級レベルで古文は教えない。「ます形」の「泳ぎます」を派生させてしまうのだろうか。これは過剰般化というやつか。


もちろん、間違えながら覚えていくので、最終的に正しい形になればいいのであるが、「およんで」を聞くと「キター」と思ってしまう。

(試訳)ワシントン・アーヴィング The Little Man in Black

  ワシントン・アーヴィング(Washington Irving)の "The Little Man in Black"を翻訳してみる。  文法訳読法が好きなため、辞書などを引き引き訳してみた。   誤訳、迷訳についてはご勘弁願います。   たいだいパラグラフ...